川瀬浩介|KAWASE Kohske

作曲家・美術家|MUSIC × ART

川瀬浩介|HISTORY

1996年ごろより、TV、CM、Web等の商業音楽のための作曲からキャリアをスタートさせる。後に、音楽のみならず、光や映像など、音楽に視覚的要素を融合させた自身のアート作品を手がけるようになる。並行して、森山開次、伊藤キム、ひびのこづえ、SLOW CIRCUS PROJECTなど、現代舞踊/現代サーカスのための楽曲提供を行う。

2022年、一ト月の間に〈ふたつの死別〉を経験し、人生最大の転機を迎えた。

2023年──およそ一年に及ぶ時間、身を切るような悲嘆感情と徹底的に向き合い、新生。

いま再び、想像し得なかった輝かしい未来へ向けて、ゆっくりと歩み始めている。


生い立ち 

1970年12月17日、京都府京都市生まれ、東京育ち。生家は、京都・花園にある妙心寺南門近く(現在は、餃子の王将になっている)。母・浩江が妊娠したころ、父・十九男は胃がんが発覚し、余命宣告を受ける。母は心的にも身体的にもストレスがかかったうえ仕事の多忙も重なり、かなりの難産を強いられた。予定より一ト月以上早く誕生した浩介は、逆子でへその緒がクビに巻き付いた状態で分娩され、産声はあがらず仮死状態だったが、担当医の適切な処置により無事、息を吹き返した。後年の肥満体型からは想像もできないと本人も冗談をいうほどだが、出生時は未熟児として生まれている。一方、病気の進行が止められなかった父は、川瀬の出生からおよそ8ヶ月後、1971年8月、他界(享年41歳)。川瀬本人曰く、「父の写真の中にいる」といい、共に過ごした記憶は残っていないとう。それを期に、母・浩江は東京移住を決意する。川瀬が幼稚園に上がる4歳のころ、東京都新宿区富久町に移り住んだ。

12歳離れた兄の影響で、幼いころから洋楽が家の中に流れているのが常だった。1970年代当時大流行していたQueenの楽曲を子守唄のように聴いていた記憶があるという。母・浩江は、少女時代からバレエや声楽を嗜むほどだったゆえ、川瀬にピアノを習わせたかったようだが、当時の本人は全く興味を示さず、幼少期は主に、少年野球に打ち込んでいた。

小学校高学年に差し掛かったころ、ラジカセブームが到来。それを期に音楽に興味を示したのか、兄のレコードコレクションを聞きかじるようになるも、音楽にはまるほどの衝動はまだ得られていなかった。その後のウォークマン、貸しレコードの登場と共に、音楽の聴取体験は増えていくが(Queen《グレイテストヒッツ》、坂本龍一《戦場のメリークリスマス》、U2《炎》、デュラン・デュラン、シンディーローパーなどをカセットで聴いていた)、まだ流行に乗っているだけの状態だった。

1985年、高校に進学したころから、音楽漬けの生活が始まる。80年代の洋楽に影響を受けた日本の多くのロックバンドが登場。同時にバンドブームも巻き起こり、アルバム発売に併せてバンドスコアが当たり前のように発売されるようになっていった。川瀬本人はバンドを組むこと自体には興味がなく、放課後は即座に自宅に戻り、アルバムを聴きながらバンドスコアを読んでいたという。その当時、興味を示していた坂本龍一やTM Network、Grass Valley、Casiopeaなどに影響され、カシオトーンを購入し、楽器練習と作曲のまねごとを始める。このとき、中学時代の音楽の授業での体験(リコーダーなどの楽器演奏、オーケストラのスコアリーディング)、そして子供の頃、母から教えられた譜面の読み方を記憶していることに気づいた。その、「わずかな基礎」を備えていることが、後に、何の勝算もなく音楽活動を始めたときの支えになったという。

1987年、高校三年生になったころ、歩行困難に陥るほどの腰痛に見舞われる。診断は、椎間板ヘルニア。手術を避けるため、スポーツ外科、カイロプラクティック、整体、中国針などあらゆる方法を試すも、ときには悪化することもあり、結果、およそ3年間、二十歳を過ぎるころまで治療を余儀なくされた。高校三年のころは、学校に通うこともままならず、卒業に必要な出席日数が危うく足りなくなるところだったらしい。当時エスカレーター式の私学に通っていたが、腰痛の回復も思わしくなく、このまま大学に上がっても休学を余儀なくされるはずであったこと、そして音楽の道に進もうとしている自分は、半ば「就職活動のための保険」として進学しようとしている不純な動機に気づき、「本気で大学で勉強したい人に失礼」だと結論。推薦テストを辞退した。そして、「治療のため」という名目のもと、浪人生活に入った。

その期間、青春期(同時に受験期でもあった)を謳歌できない鬱憤を晴らすかのように、80年代後半から勃興したハードロックブームにのめり込むようになり、遂に自らエレキ・ギターを手にする。Whitesnake、Blue Murder、Winger、Steve Vai、Joe Satriani、Stevie Salas、Living Colour、Fence Of Defenseなどを好み、アルバムをカセットにダビングしては、SONYウォークマンを片時も離さず通学/下校時に聴き込み、没頭していた。

二年間の浪人時代を過ごしている間も、腰の痛みに苦悶し続けていた。友達も作らず、受験予備校と治療院を往復するだけの日々は、音楽に夢を馳せるには十分過ぎる時間だった。そのうち、もはや大学に進学したい気持ちも消え失せ、興味のある科目(英語と数学)しか勉強しないという悪癖も重なり、志望校への門は当然、開かれることはなかった。親の手前、一校でも「合格」だけは勝ち取ろうと、滑り止めに合格を果たすも、やはり「行きたい人のために席を譲るべき」と、入学を辞退した(その試験へ向かう道中、休憩時間に聴いていたアルバムは、Stevie Salas《Colorcode》だったことをよく憶えているという)。

そして遂に、音楽の道を進む決意をする。そのことを親に告げたとき、母・浩江は、高学歴を残した兄を引き合いにだし、「親が喜ぶことは兄貴がぜんぶやってくれた。あんたは好きにしたらええがな」と、浩江の生まれ故郷である大阪の言葉で伝えたという。昭和一桁生まれで、幼少期に戦争も体験した母・浩江は、バレエや音楽の道に進んでみたいという夢を抱いていた。時代が適わず断念したことから、心のどこかでは川瀬を応援していたのではないかと、川瀬本人は後に語っている。

1990年、当時池袋に存在したロック系音楽学校=東京レコーディングスクールの作編曲科へ入学。しかし、入学当初から経営不振の噂が絶えず、翌1991年、川瀬の1年次終了と同時に、同校は閉鎖された。学校の閉鎖が決まった夏頃から、授業は学科の枠が取り払われ、川瀬は作編曲よりも、録音科の授業に入り浸るようになる。24トラックのアナログマルチレコーダーが備えられた本格的な録音スタジオを朝から晩まで占有して、講師とのマンツーマン授業を受けていた。「自分で打ち込んだ曲をマルチトラックに録音してトラックダウンする」という工程を学ぶため、朝スタジオ入りして自ら電源を入れテープをセットし講師の到着を待つ毎日だった。結果、学校閉鎖までの半年の間に、おおよそのスタジオ録音技術を習得。後年、デジタル・オーディオ・ワークステーション環境を手にし、自ら、録音~トラックダウン~マスタリングまで独りでこなすようになるその礎は、このころに培われたものとも言える。


 アシスタント時代

1991年、学校閉鎖に伴い、当時同校で講師を務めていたギタリスト栗原務(EUROX、EGQ、Lu7)のローディー(楽器アシスタント)を勤めることになった。本格的なプロの録音現場を見学したのは、同氏が演奏参加した米倉利紀のファーストアルバム《bella donna》(中森明菜〈TATOO〉を手がけた作曲家・関根安里による同アルバム収録曲〈未完のアンドロイド〉〈モノクローム・トラブル〉で栗原務のギタープレイが聴ける。ちなみに、〈TATOO〉と同じく彼女の代表曲〈I MISSED THE SHOCK〉の編曲は、関根安里、栗原務が在籍した伝説的ロックバンドEUROXが担当している)。

1994年ごろまで、栗原務のアシスタントを勤めながら、同氏のリーダーバンド=Kurihara Tsutomu Groupのキーボード奏者として在籍。東京・代官山のZEROスタジオ(当時)でのレコーディング、吉祥寺シルバーエレファントでのライブ活動などに帯同していた。

1995年、自らの初めてのデモテープ《川瀬浩介 芸風大全》を制作。その中に収録された〈青空楽団〉は、20年後の2015年、新国立劇場委嘱作品=森山開次《サーカス》の冒頭に使用された(当時の音源をそのままマスタリングして使用)。同作品発表と同時にリリースされたサウンドトラック・アルバム《A Small Hope》にも〈青空楽団1995〉として収録されている。この楽曲は、川瀬の多様な音楽性を端的に物語る一曲であり、本人曰く「いつか自信作が完成したら、その冒頭に使う」と決めていたというほど、思い入れのある曲だった。ちなみにこの曲は、川瀬が愛用していたシンセサイザーRoland JV-1080だけを使って完成されている。壊れたラジオ風の音色と揺らぐチューニングや激しいノイズも、すべて同機の内部機能だけで再現された。

1996年、この初めてのデモテープ《芸風大全》がきっかけとなり、作曲家ユニット=S.E.N.S.のアシスタントを勤めることになった。音楽専門誌=サウンド&レコーディングマガジンに掲載されていた募集記事をみて応募。「履歴書を求めていたのに、デモテープを送ってきて、それがしかもマニアックで興味深かった」と評価され、それから半年間で二枚のサウンドトラック制作に、プライベートスタジオのアシスタントとして携わっている(フジテレビ系ドラマ《ミセスシンデレラ》、TBS系ドラマ《青い鳥》)。このアシスタント時代における経験は、「自分の携わった音楽が世の中で機能するとはどういうことか?」を学べたという点で大きな収穫だった。この後、当時黎明期にあったインターネットのウェブサービスのための音楽や効果音制作、企業イベントのためのプロモーションビデオのための音楽、そして後年に、TVコマーシャルのための作曲など、自ら仕事を受けはじめるようになっていった。

自分の仕事と併行して、S.E.N.S.アシスタント時代に出逢った音楽家=栗原正己との縁で、同氏のリーダーバンド=栗コーダーカルテットのアシスタント業務を行うようになった。この時期、こまれで聴いてこなかった種類の音楽の魅力を知ることになる。「この時代に、耳が拡張した」──栗コーダーカルテット周辺で活動する多才なミュージシャンたちが奏でる多様な音楽やルーツ・ミュージック、民族音楽など、これまで無縁だった音楽の魅力を知ることができたのは、後の音楽活動だけでなく、人として世界を感じる力を養うためのとても重要な経験になったという。

栗コーダーカルテットとの仕事は、2000年ごろまで続き、同バンドのインディーズ時代の傑作の一つである《鉄道ワルツ》では「レコーディングエンジニア」としてクレジットされている。実際には演奏を記録するデジタルレコーダーを操作していただけであったが、過酷なレコーディングに応じたその労をねぎらわれる形でのクレジット表記となったと、本人は察しているらしい。


美術家として 

商業音楽家としての未来を模索していた2000年代に入り、CM音楽の仕事をこなしながらも、川瀬は、現代美術への関心と欲求が高まっていた。CM仕事などの経済活動でわずかな蓄えを手にし、自らの表現活動を考えたとき、普通の音楽家ならアルバムを作るかライブを行うのが常であろうが、川瀬の場合は違った。2002年、川瀬浩介名義として初めて発表した《Long Autumn Sweet Thing》は、音と光のためのインスタレーション作品として完成、発表されている。自ら考案した照明装置による光の明滅が、川瀬の詩的で情景的な音楽と呼応して「実在するような、またはしないような、ある物語」を想起させる仕上がりとなった。鑑賞者の想像力を駆り立てるデビュー作《Long Autumn Sweet Thing》は、2002年10月、第3回Spiral Independent Creators Festivalのグランプリ作品発表展覧会として、Spiral/Wacoal Art Centerのエントランスにある「ショーケース」と呼ばれるスペースでお披露目された。

このソロ活動の前進として、1997年頃から2001年まで、映像作家=中村順基との実験的コラボレーションユニット=”n” ensemble orbでの活動を通じて、川瀬本人は、音楽のみでの表現よりも「音楽と何か」を組み合わせた表現に可能性を感じていたらしい。

以降、「音と光」は川瀬の表現テーマのひとつとなり、2012年、東京スカイツリーでの《光の音色:a tone of light》から、2015年に道後温泉・ホテル椿館に収蔵された《LASTing WAVE》(川瀬自身初めての常設作品。2014年道後オンセナートにて初出)まで、「音と光の彫刻作品」とも言える、音楽と光の情景に注目した作品を展開している。


介護者として

2012年秋ごろより、母親の介護を行いつつ、創作活動を継続している。2013年《LIVE BONE》劇場版に向けた新曲制作時、そして、2015年に発表した森山開次作品《サーカス》のためのオリジナル・サウンドトラック《A Small Hope》レコーディング期間は、いずれも制作に向かおうとした段階で、母親が倒れる事態に見舞われている。しかも《A Small Hope》制作中には、母親が脳梗塞を発症。幸い、大きな障害は残らなかったものの、後のリハビリや通院、ケアに振り回されながらの制作を続行した。大幅にスケジュールが遅れるも、森山をはじめ、関係者らの支えもあり、2015年6月20日、新国立劇場での《サーカス》初日に無事、アルバム《A Small Hope》の発売を果たしている。

2015年10月、介護者として丸3年の時間を過ごした際、自身の公式SNS上では、「この3年の間に一番上達したのは料理」と発言。川瀬が公開する写真の多くは、自身による料理の記録が多い。しかしそのほとんどは、母親のために作ったものである。

2021年12月3日──母、浩江、永眠。享年88歳。コロナ禍において、家族が立ち会うことは叶わなかったが、本人が望んだ通り、老衰による最期を迎えた。第二次世界大戦、行動経済成長、バブル経済、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、アメリカ同時多発テロ、阪神・淡路大震災、東日本大震災、パンデミック……昭和という激動の時代の始まりの頃に生まれ、時代と環境のあらゆる変化を見届けた人生に幕を閉じた。それと同時に、川瀬自身の、およそ10年に及ぶ介護者生活にもピリオドが打たれた。


ふたつの死別

新生までの記録:BLOG《寡夫ロマンティック》


悲劇のあとの奇跡

TO BE UPDATED


ベアリング・グロッケン|BEARINGS GLOCKEN

ベアリングの内部に利用される鋼球を利用して、オリジナルに開発した鉄琴を自動演奏させる楽器。2006年初号器世界初演、2009年には二号器となる《ベアリング・グロッケン II》を発表。第13回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品に選出され、2010年2月、国立新美術館での受賞作品展に出展。同じく2010年の文化庁メディア芸術祭 in イスタンブールにも出展された。2013年には、フランス・ナント市で開催されている先端芸術の祭典=Festival Scopitoneへも召還され、ヨーロッパでの展示も実現している。


NHK教育《からだであそぼ》

2008~2009年度、NHK教育テレビで放送された「からだであそぼ」の音楽を一部担当(2009年度は「あさだからだ」と改名)。番組冒頭の体操コーナー《ケインのたいそう》(ケイン・コスギ出演)、森山開次がひびのこづえによる内臓をモチーフにした衣装をまとい即興する《踊る内臓》など、複数のコーナーの音楽を手がけた。番組終了後、森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介として《踊る内臓》をライブパフォーマンスで展開。この活動が、後の《LIVE BONE》、森山開次作品《サーカス》へとつながっている。

ちなみに、放送当時の《踊る内臓》は、森山が音楽なしで即興した振付した後、番組ディレクターが臓器の機能などについてユーモラスに紹介する内容で作詞を施し、最後に川瀬のもとに映像と歌詞が送られてくる、という制作過程を経た。しかし完成し放送された作品は、あたかも「音楽を聴きながら踊った」かのような自然な仕上がりとなった。森山の振付からテンポを割り出し、ときには変拍子を導入するなどして、完全に踊りにあわせてしまったため、川瀬本人は後に「この制作過程のユニークさが伝わらないほど完璧に仕上げてしまった」と反省の弁を述べたこともある。こうした、どんな映像に対しても音楽をはめ込む技術は、川瀬の活動初期に展開していた”n” ensemble orb(エヌ・アンサンブル・オーブ)での研鑽が多いに役に立っていると、本人は常々口にしている。


台湾・横浜

2008年度、台北・横浜アーティスト交換プログラムへの参加作家として任命され、2009年2月から10週間、横浜市からの派遣として台湾・台北市にある台北国際藝術村(Taipei Artist Village)に滞在。作品制作および発表(個展)を行った。世界各地から集まったアーティスト達とはもちろん、現地の台湾の人々との交流は、日本人が忘れかけている大切なものを思い出させてくれた、と、帰国後に語っている。BankART1929から発行された活動記録冊子には、その想いが正直に綴られている。

プログラム終了後も、現地との交流を続けており、たびたび再訪するほど気に入っている様子で、川瀬曰く「台湾は行く場所ではなく、帰る場所」だという。

以降、BankART1929との関係が深まり、2012~2014年の2年間、BankART1929が運営した巨大シェアスタジオ=ハンマーヘッドスタジオ 新・港区(50組100名ほどのクリエイターが活動していた)へ入居し、自身の制作スタジオを横浜・みなとみらい地区に構えた。しかし、スタジオでの活動期間は、親の介護に直面しており、計画していた通りには運用できなかったようだが、ここで過ごした多くの仲間たちとの時間に気づかされたことがたくさんあったようだ。スタジオの活動をまとめられ出版された記録本「ハンマーヘッドスタジオ 新・港区」には、キャリアのなかでも最も濃い時間を過ごしたスタジオへの愛着を含めつつ、創作への熱い想いが綴られている。また、クローズになる直前の半年間は、ハンマーヘッドスタジオ 新・港区 区長を努め、記録本編集委員、スタジオ閉鎖に伴い開催された展覧会「撤収」展の企画委員も務めた。活動期間中に成果を発表するもの、新しく計画しているプロジェクトのプレゼンテーションをするものなど様々であったが、川瀬本人は委員会の仕事と介護の狭間で時間がなくなり、USTREAMを使った入居者へのインタビュー企画「カワセラジオ|KAWASE RADIO」を展開。一組一時間以上話すことも多く、膨大なアーカイブが存在するが、その後、USTREAMは録画保存が有料化されたため、当時のアーカイブはサイト上ではすべて消滅している(録画したオリジナルファイルは本人が大切に保管している)。


LIVE BONE

2010年12月18日、東京・東陽町にあるギャラリー・エークワッドにて開催されていた森山開次個展《ハコ・ヒト・ハコ》のダンス・イベントとして誕生。恐竜の骨をイメージさせる衣装をまとった森山と、コミカルでユーモアに溢れていながらも、どこか心にしみる力を備えた川瀬の音楽が見事に融合し、身体の神秘と命の儚さ、そして尊さを表現したその初演は、まだ《LIVE BONE》という名前さえなかったものの、大人から子供まで一緒に楽しめる演目として大好評を得た。続く翌2011年、東日本大震災発生後、スパイラル/ワコール・アートセンターにより企画された展覧会《アートのちから》にて、再演要請があり《LIVE BONE》と命名され、以降、国内外で多数上演を果たしている。野外での上演も多く、炎天下や雨、風はもちろん、ときには台風が接近しる天候でも実施する場合もある。それは、生命讃歌ともいうべき《LIVE BONE》の本質を、自然と対峙することにより表現しているとも受け取れる瞬間である。


映像作品のための音楽

  • PopulouSCAPE|ポピュラスケープ (2005)
  • 横浜寿町再生プロジェクト《KOTOBUKI_PROMOTION》 (2005)
  • Otaru PopulandSCAPE (2014)
  • みなとまち小樽ビジュアルプロモーションプロジェクト《港を巷に -for our Future-》(2015)
  • 低炭素街作り 三津浜編 (2015)

ダンスのための音楽

  • ひびのこづえパフォーマンス《・・/・・/・・ク(つづく)》(2005)
  • random access (2006) スターダンサーズ・バレエ団バレエマスター=鈴木稔作品
  • ひびのこづえパフォーマンス《たしひきのあんばい》@水戸芸術館 (2007) 出演:近藤良平、森山開次
  • 森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介《LIVE BONE》(2010-現在)
  • 二子玉川ライズ オープニングパフォーマンス《タマリバーズ 空飛ぶめだかの学校》(2011)
  • 山口植樹祭2012 メインアトラクション(振付/演出:森山開次、衣装:ひびのこづえ)
  • トバズニハ《コンパス グルグル》(2013) 振付/演出:伊藤キム
  • 六本木アートナイト2014 六本木パレード《ふわりたい ながれたい つなぎたい》(2014) 監修/演出/振付:伊藤キム 
  • 森山開次《サーカス》(2015)
  • 森山開次《NINJA》(2018)
  • スローサーカスプロジェクト《T∞KY∞~虫のいい話~》(2021)
  • 森山開次《新版・NINJA》(2022)

作曲/楽曲提供

  • NHK教育《からだであそぼ》(2008年)《あさだからだ》(2009年)(森山開次《踊る内臓》全12作、ケイン・コスギ《ケインのたいそう》他
  • 全国植樹祭山口 天皇皇后両陛下ご臨席メインアトラクション 作曲(演出・振付:森山開次 衣装:ひびのこづえ)(2012年)
  • NHK教育(森山開次《踊る内臓》全12作、ケイン・コスギ《ケインのたいそう》他
  • 食育体操《ヘルンダーナ・スクンダーナ》(2013年)

音楽性/作家性

無数のジャンルの音楽から影響を受けており、実に幅広い作風(本人は「芸風」と口にする)を手がけている。子供ウケするテイストからロマンティックな旋律、果てはハードロックからノイズミュージックまで…とても一言で形容することはできそうにない。余談になるが、川瀬本人は、近年、自身のテーマとして「ロマンティック」と口にすることが多く「ロマンティスト」として自己紹介している。

音楽のみならず、同時にアート作品も手がけることから、自身の活動を紹介するプレゼンテーションの機会も少なくないようで、川瀬の代表作である《ベアリング・グロッケン II》が、[[文化庁メディア芸術祭]]で紹介された際に設けられた機会では、自身の幅広い芸風を表現する言葉として「Romantic, Organic, Charming and Katharsis=ROCK」と、漫才のオチのような口ぶりで宣言。会場は笑いの渦に巻き込まれた。

川瀬の作曲家としての集大成と言えるのが、2015年の森山開次作品《サーカス》のためのサウンドトラックであろう。「川瀬浩介芸風大全」とも呼ぶべき多彩な楽曲群を耳にしたもののなかには、ある種の節操のなさを揶揄するものもいたが、《LIVE BONE》や《踊る内臓》のための楽曲しかり、表面的な奇抜さやユニークさを超えてその本質に迫ると、川瀬の表現に対する真摯さに初めて触れることができるはずだ。本人のエゴを捨て去り、相手に伝わる表現かどうかに対し常に向き合っている──作業を共にしたある建築家が、川瀬の作品のことを「贈り物」と表現したことがある。彼の仕事を振り返ると、そのどれもが「プレゼント」と言えるかもしれない。


使用機材

  • IBANEZ J-Custom
  • Godin SA-Synth
  • LINE6 James Tyler Variax JTV-69
  • STEINBERGER ZT-3
  • .strandberg* Boden Prog Nx 7
  • YAMAHA Pacifica USA Custom
  • YAMAHA Pacifica Mike Stern Custom
  • YAMAHA TRB
  • APPLE Logic Pro
  • Steinberg Nuendo
  • PreSonus Studio One
  • ABLETON LIVE
  • Solid State Logic Big Six
  • Universal Audio apollo x4
  • MOTU Ultra Lite AVB

ディスコグラフィー

  • KOTOBUKI_PROMOTION 横浜・寿町再生プロジェクトプロモーション映像DVD (岡部友彦+福島慶介+川瀬浩介) [BankART出版](2005年)
  • PopulouSCAPE|ポピュラスケープ DVD [SPIRAL] (Team PopulouSCAPE)(2006年)
  • 或る少年の一日 – An Imaginary Day In A Boy’s Life – [KAWASE STUDIO: KSCD-001](2013年)
  • 踊る内臓 – NHK教育「からだであそぼ」より [KAWASE STUDIO: KSCD-002](2013年)
  • LIVE BONE – Soundtrack for the performance “LIVE BONE” [KAWASE STUDIO: KSCD-003](2013年)
  • A Small Hope – 森山開次《サーカス》オリジナルサウンドトラック [KAWASE STUDIO: KSCD-004](2015年)
  • ROMANTICMAN GOING TO THE FRONT: The Essentials of Music for Performance 2007-2020 [KAWASE STUDIO: KSCD-005](2020年)*配信ベスト盤

出版 

  • ハンマーヘッドスタジオ 新・港区 [BankART出版](2014年)

展覧会/活動歴

個展 

  • 2009 台北国際芸術村《Scene of Light for Taipei》台湾
  • 2009 Bギャラリー 《Scene of Light シーン・オブ・ライト~光の情景》(BEAMS JAPAN新宿6階)
  • 2003 Bギャラリー 《Long Autumn Sweet Thing part 6》(BEAMS JAPAN新宿6階)
  • 2003 アップリンクギャラリー 《Long Autumn Sweet Thing part 4》
  • 2002 第3回SICFグランプリ作品発表展覧会 《Long Autumn Sweet Thing》@ Spiral Garden Showcase

 グループ展

  • 2020 心ある機械たちagain @ BankART1929 《ベアリング・グロッケン II》出展
  • 2015 3331α Art Hack Day 2015 @ 3331 Arts Chiyoda (Project MUとして)
  • 2015 都市を巡る横浜と台北 展 @ BankART Studio NYK《Long Autumn Sweet Thing》《Scene of Light for Taipei》展示
  • 2014 BankART LIVE IV – Landmark Project V @ 神奈川県庁舎《Long Autumn Sweet Thing》展示
  • 2014 スマートイルミネーション鶴見 @ 総持寺《光の音色:a tone of light》展示
  • 2014 道後オンセナート2014《LASTing WAVE》展示 @ 道後温泉 椿の湯
  • 2013 スマートイルミネーション新治《光の音色:a tone of light》展示
  • 2013 《ベアリング・グロッケン II》展示 @ Festival Scopitone(フランス・ナント市)
  • 2012 ライトアート・エンターテインメント2012 東京スカイツリー 《光の音色》for 東京スカイツリー 展示
  • 2012 スマートイルミネーション新治2012《ベアリング・グロッケン II》展示
  • 2012 スマートイルミネーション横浜2012《光の音色》発表
  • 2011 Cafe in Mito 2011ーかかわりの色いろ 森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介《LIVE BONE》上演 @水戸芸術館
  • 2011 KAITEKIのかたち展 インスタレーション《Muse The Chemistry》発表
  • 2011 アートのちから展 参加 パフォーマンス《LIVE BONE》《Scene of Light: AEON》
  • 2010 黄金町バザール2010《「人間失格」のための習作》発表
  • 2010 文化庁メディア芸術祭 in イスタンブール2010《 ベアリング・グロッケン II 》出展 @ Pera Museum, トルコ
  • 2010 《LASTing WAVE》@ 象の鼻テラス
  • 2010 平成21年度 [第13回] 文化庁メディア芸術祭 受賞作品展《 ベアリング・グロッケン II 》出展 @ 国立新美術館
  • 2009 Hitchhiker to the galaxy 《Long Autumn Sweet Thing》展示上演 @ Daejeon Museum of Art, 韓国
  • 2009 神戸ビエンナーレ2009「アートインコンンテナ」国際展《snow bar n43》(YEN DESIGNとして福島慶介と恊働)
  • 2009 第10回SICF 10th Anniversary グランプリアーティスト展 00-08 《ベアリング・グロッケン II》世界初演
  • 2008 心ある機械たち @ BankART1929 《ベアリング・グロッケン》《Long Autumn Sweet Thing》他 展示上演
  • 2007 9×9 spiral bank exhibition @ Spiral Garden 《an etude for Scene of Light~光の情景のための習作》世界初演
  • 2007 PopulouSCAPE上映 @ 2007 Daejeon FAST ( Future of Art, Science and Technology ), 韓国 *
  • 2007 PopulouSCAPE上映 @ NEMO Festival, パリ *
  • 2006 Digital Art Festival TOKYO 2006 《Long Autumn Sweet Thing for DAF Tokyo 2006》展示/上演
  • 2006 NSK ベアリングアート展 Smooth Sailing for BEARING 《ベアリング・グロッケン》 発表(世界初演)
  • 2006 PopulouSCAPE上映 @ 2006 SCIENCE+ART / outer SPACE, 韓国 *
  • 2006 PopulouSCAPE上映 @ The 2006 Prix Ars Electronica’s Computer Animation Festival, オーストリー *
  • 2006 PopulouSCAPE上映 @ BankART 1929 Yokohhama *
  • 2006 EIZONE @ BankART1929《PopulouSCAPE(ポピュラスケープ》展示/上映 *
  • 2005 BankART Life @ BankART Studio NYK 映像作品 《KOTOBUKI_PROMOTION》 出展 **
  • 2003 第4回SICF @ Spiral Hall 《Long Autumn Sweet Thing part 5》 招待出展
  • 2002 サウンド・ガーデン @ 原美術館 《 Long Autumn Sweet Thing part1 -prototype- 》 出展
  • 2002 フィリップモリスアートアワード 《THE FIRST MOVE》 @ 東京国際フォーラム ***
  • 2002 第3回SICF @ Spiral Hall 《Long Autumn Sweet Thing part 1 -prototype-》 出展

* Team PopulouSCAPEとして, ** 岡部友彦、福島慶介と恊働, *** “n” ensemble orbとして

アーティスト・イン・レジデンス

  • 2009 台北国際藝術村 (2009.2.20~4.30)

芸術祭・コラボレーションなど

  • 2022 森山開次《新版・NINJA》@新国立劇場 音楽担当
  • 2021 スローサーカスプロジェクト《T∞KY∞~虫のいい話~》@池袋西口公演野外劇場 音楽担当
  • 2018 森山開次《NINJA》@新国立劇場 音楽担当
  • 2020 ひびのこづえ×藤村港平×川瀬浩介《MAMMOTH》 音楽担当
  • 2019 ひびのこづえ×アルトノイ×川瀬浩介《piece to peace》 音楽担当
  • 2019 ひびのこづえ×ホワイトアスパラガス×川瀬浩介《MASK》 音楽担当
  • 2018 ひびのこづえ×浅沼 圭×高岡沙綾×川瀬浩介《Rinne》 音楽担当
  • 2018 ひびのこづえ×島地保武×川瀬浩介《FLY、FLY、FLY》 音楽担当
  • 2017 ひびのこづえ×ホワイトアスパラガス×川瀬浩介《WONDER WATER》 音楽担当
  • 2017 ひびのこづえ×引間文佳×川瀬浩介《Humanoid LADY》 音楽担当
  • 2015 森山開次《サーカス》@新国立劇場 音楽担当
  • 2013 森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介《LIVE BONE》劇場版 @ スパイラルホール
  • 2013 森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介《LIVE BONE》劇場版 @ 広島県立美術館
  • 2013 森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介《LIVE BONE》@ 六甲ミーツ・アート芸術散歩2013
  • 2013 森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介《LIVE BONE》@ 東アジア共生会議2013 Special Version
  • 2013 森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介《LIVE BONE》@ 栃木県立美術館バージョン
  • 2013 YOUTH-PERFORMANCE 2013 トバズニハ《コンパス グルグル》@ シアタートラム 音楽担当 総合演出:伊藤キム
  • 2012 全国植樹祭山口 メインアトラクション 作曲(演出・振付:森山開次 衣装:ひびのこづえ)
  • 2011 パフォーマンス《タマリバーズ「空飛ぶめだかの学校」》@二子玉川ライズ 作曲 
  • 2010 森山開次展「ハコ・ヒト・ハコ」ダンス・パフォーマンス《森山開次 x ひびのこづえ x 川瀬浩介》サウンドトラック作曲
  • 2010 瀬戸内国際芸術祭参加プロジェクト Team BankART Setouchi《続・朝鮮通信使》テーマ曲 作曲
  • 2010 VJ Summit @ Appleストア銀座 作品プレゼンテーション
  • 2009 第4回世界トライポロジー会議《ベアリング・グロッケン II》 展示/演奏
  • 2009 感性価値創造ミュージアム in KOBE《ベアリング・グロッケン》 展示/演奏
  • 2009 ひびのこづえ展「キタイギタイ」ダンス・パフォーマンス《踊る内臓 THE LIVE》音楽担当(出演:森山開次)
  • 2009 NHK教育テレビ「あさだ!からだ!」音楽担当《ケインのたいそう》《踊る内臓》他
  • 2008 ひびのこづえ展「2LDK星」ダンス・パフォーマンス《踊る内臓 THE LIVE》音楽担当(出演:森山開次、三倉加奈)
  • 2008 NHK教育テレビ「からだであそぼ」音楽担当《ケインのたいそう》《踊る内臓》他
  • 2008 横浜駅周辺大改造計画 プロモーションムービー《Message for future》サウンドトラック作曲
  • 2008 VJ Summit @ Appleストア銀座 《 Scene of Light 》作品プレゼンテーション
  • 2007 《エコロジー ideasのための音楽》パナソニックセンター東京 2階ショールーム 環境音楽デザイン
  • 2007 アルカディ・ザイデスperformance 《 DAAT 》 @ のげシャーレ サウンドトラック作曲
  • 2007 ひびのこづえperformance @ 水戸芸術館(出演:森山開次) サウンドトラック作曲
  • 2007 ひびのこづえperformance @ 水戸芸術館(出演:近藤良平) サウンドトラック作曲
  • 2007 鈴木稔バレエ 《random access》 @ テアトロ・ジーリオ・ショウワ サウンドトラック作曲
  • 2006 PopulouSCAPEプレゼンテーション @ Appleストア銀座 《PopulouSCAPE : Backgrounds & Prospects》
  • 2006 ひびのこづえ performance @ 金津創作の森 サウンドトラック作曲
  • 2006 鈴木稔バレエ 《random access》 @ フェスティバルホール サウンドトラック作曲
  • 2005 ひびのこづえ performance 《 ・・/・・/・・ク(つづく) 》 サウンドトラック作曲
  • 2005 国民文化祭・ふくい2005 パフォーマンス 《ファッション・フェスティバル in 鯖江》 サウンドトラック作曲
  • 2005 横浜・寿町再生プロジェクト プレゼンテーション @ Appleストア銀座 《KOTOBUKI_PROMOTION》
  • 2005 横浜・寿町再生プロジェクト プロモーションムービー 《KOTOBUKI_PROMOTION》 サウンドトラック作曲
  • 2005 日本国際博覧会「愛・地球博」(愛知万博) 映像コンテンツ 《ポピュラスケープ》 サウンドトラック作曲
  • 2005 日本国際博覧会「愛・地球博」(愛知万博) パフォーマンス 《クリエイティヴ・ジャパン》 サウンドトラック作曲
  • 2004 川瀬浩介プレゼンテーション@ Appleストア銀座(Sound & Recording Magazine Work Shop)
  • 2002 TOKYO ZONE 2 @ オーディトリウム・サンジェルマン・デ・プレ(Paris)”n” ensemble orb 《nAP000》 上映

主な受賞歴

  • 2015 3331α Art Hack Day 2015 ライゾマティクス齋藤精一賞(Project MUとして)
  • 2009 平成21年度 [第13回] 文化庁メディア芸術祭 アート部門 審査委員会推薦作品
  • 2004 NHKデジタルスタジアム デジスタ・アウォード2004 ファイナリスト 入賞
  • 2002 フィリップモリスアートアワード 入選(”n” ensemble orbとして)
  • 2002 第3回SICF(Spiral Incependent Creators Festival) グランプリ

出演

テレビ

  • NHKデジタルスタジアム (2004年)《Long Autumn Sweet Thing》にてデジスタアウォード2004ファイナリスト選出(tomatoセレクション)
  • ネプ理科(2007年)《ベアリング・グロッケン II》紹介

審査員

  • トヨタコレオグラフィーアワード2014ゲスト審査員

関連人物

  • 森山開次
  • ひびのこづえ
  • 伊藤キム
  • 伊豆牧子
  • 蓜島邦明(2015年5月のライブにて照明演出を担当)
  • S.E.N.S.
  • 栗コーダーカルテットカルテット
  • 栗原務
  • 鈴木稔(スターダンサーズ・バレエ団バレエマスター)
  • スターダンサーズ・バレエ団(鈴木稔作品《random access》作曲 (2006年)

美術館・劇場

  • SPIRAL/Wacoal Art Center
  • 象の鼻テラス
  • UPLINK Gallery《Long Autumn Sweet Thing》展示(早稲田期)
  • BankART1929 Yokohama
  • ハンマーヘッドスタジオ 新・港区
  • 黄金町エリアマネージメントセンター
  • 急な坂スタジオ(Arcadi Zaides《DAAT》音楽担当
  • 台北國際芸術村(アーティスト・イン・レジデンス)
  • Stereolux
  • Scopitone フランス・ナント市《ベアリング・グロッケン II》展示
  • Gallery LOOP《PopulouSCAPE|ポピュラスケープ》展示
  • 水戸芸術館《LIVE BONE》上演
  • 栃木県立美術館《LIVE BONE》上演
  • 世田谷パブリックシアター
  • 六本木アートナイト アートパレード2014音楽担当
  • 京都劇場 東アジア共生会議《LIVE BONE》スペシャルバージョン上演
  • 京都芸術劇場 春秋座《LIVE BONE》上演
  • 新国立劇場
  • 東京藝術劇場
  • 池袋西口公演野外劇場
  • 青山円形劇場
  • 大阪フェイスティバルホール(鈴木稔作品《random access》作曲 (2006年)

その他

  • 東京スカイツリー《光の音色》展示 (2012年)
  • 栗林公園《光の音色》展示 (2012年)
  • 神奈川県庁《Long Autumn Sweet Thing》《光の音色》展示 (2014年)

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テーマの著者 Anders Norén